ここからお待ちかね?の本題です。長かった・・・・3ヶ月くらいありましたかね(書いたのは一
日ですが・汗)
 さて、古代文明と初期国家の決定的な違いは簡潔に述べると、「王権」が伴うか否かにありま
す。規定するのはなかなか難しいのですが、ここでは仮に「人とモノとカネを動かし、なおかつ
その権力が当該集団内で最高と認められるもの」としておきます。その成立条件として、まず
第一には余剰生産の発生でしょう。
 
 縄文時代には存在しなかった「クニ」が弥生時代になって次々と発生したのはなぜでしょう
か。もちろん他にも原因はあるでしょうが、それは縄文後期から
晩期にかけて伝来した米が弥生初期になってようやく定着、生産ベースにのり、かつ余剰がで
るようになったということが重要な因子ではないかと私は考えます。単純なモデルとしては、そ
れまで食料確保のための漁労・採集による少数集団による移動生活が営まれていたわけです
が、味(たぶん・笑)と生産効率の圧倒的な米が伝播したことで大集団による定着生活が可能
になり、またその管理のために農業技術に秀でた人が次第に集団の長となり、その集団のな
かでより生産能力が高く大人数を養える(=兵士が多い)集団が小集団を掣肘淘汰、あ
るいは併合することにより、古代的な秩序を保った初期国家が発生する、といったところでしょ
うか。
 主要土器の見た目と出土した地名という非常にくだらない(爆)理由でついてしまった時代名
ですが、結果的にうまく時代の転換点になっていて、いやいやよかった(笑)
 さてこれは日本のみならず全世界的にあてはまることですが、そもそも権力者とは、自分に
ついてくる人間をいかに飢えさせないか、現代用語でいうところの「経世済民」なんですね。

このあたりで閑話休題をば。いやー、やっぱり日本史大好きですよぉ ̄▽ ̄)

 さて、古代中国における王権を伴った最初期の都市国家といえるものに二里頭文化(推定
2000〜1600B.C.)があります。つまるところこれ以降「中国四千年」(三千年だったのはいつの
日かww)殷成立までの期間、中国が「夏王朝」と言い張る時代なんですが・・・。実はここで、

「え、夏王朝ってあの伝説の?」
「え、夏って普通に中国に実在した最古の王朝でしょ?」

このどちらの反応をしたかで、アナタが歴史教育を最後に受けたのがいつかわかります(笑)
今の世界史の教科書にはたいてい、「伝説だと思われてたけど、なんか遺跡とか出てきて、や
っぱ夏は実在したような感じだよ」なんていう風に書いてあるのです。どっひゃー、中国の国家
戦略に巻き込まれてるよ(滝汗)しかし出版社がだまされるのも無理からぬところがあって(実
際大変な問題ですが、実は歴史教科書は日本史・世界史ともども一、二世代前の学説が掲載
されているので。。。)というのも悪い前例があって、20C初頭まで、殷は『史記』殷本紀
にしか掲載されていない、それこそ伝説上の王朝だというのが学会の圧倒的潮流だったわけ
です。当時の日本の支那史学会(さすがに一発変換できないか^^;)でも、当然の如く東京帝大
を中心とする「馬鹿いってんじゃないよ、ケ」という観点が幅を利かせていたんです。しかしここ
で大変な事態が起こります。なんと、1928年、河南省安陽でいわゆる「殷墟」が発見されたので
す。その一連の発掘で出てきたのが今や有名な甲骨文、そしてこれに飛びついたのが京都帝
大です。方や東京帝大はここに至っても「あ、あんなのうそだ!」といっていたので、甲骨文研
究はすべて京都に奪われてしまったというわけです(ちなみに碩学・白川靜先生は京都は京都
でも立命館大ですぜ奥さんっ)そして東京帝大がその劣勢を挽回するためにがんばったのが
時代区分論争ということで・・・って、これ前にいいましたかね。でも史学論で無視するわけには
いかないところですから。ええ。

って、すぐ脱線しますねこの人は(´〜`;)

というわけでここから一気に本筋に入りますが、夏伝説の発祥時期について考察してみましょ
う。
 戦国魏の襄王(一説には哀王)までの年代記『竹書紀年』(原文散逸)には

「用歳四百七十一年矣」(『史記集解』夏本紀に引用)

とあり、夏は471年続いたといいます。また『史記』夏本紀には夏の系譜が記載されています。
ここまでは戦国期以降の資料です。さらに時代をさかのぼってみましょう。理想は同時代資料
ですがさすがにありませんので、いわゆる西周金文を見てみます。

「殷の命を墜とすは、これ殷の辺侯田と殷の正百辟とが率いて酒に肆いたればなり」(大盂鼎)

 これは殷の滅亡記事ですが、実は西周金文の夏への言及はないのです。つまり、西周代に
は話自体が存在せず、つまり夏伝説は戦国時代に様々な伝承が積み重なって作られたもの
だといえるのです。
 現在急に現れてはプツンと消息をたつ、中国発の「夏王朝の遺跡発見!」というニュースの
実際は、前述の二里頭文化か、その次の時代の二里崗文化(推定1600〜1300B.C.ちなみに
殷は1250B.C.〜と言われています)の遺跡なんです。私が言った、中国が言い張っている、と
いうのはそういうことでした。

 つまり夏王朝は中華人民共和国当局のプロパガンダにより、現在になって「作られつつある」
王朝なんです。

次回予告v
「加上説」・・・それは「より古い時代の伝説は、より新しい時代に作られている」という意味。一
見詭弁にも見え、実は真実。なぜ権力者は歴史に理想と自己の正統性を、民衆はエンターテ
イメントを求めるのか。
次回は殷周革命と共和政治をぶった切り!続けるごとに敵が増えてくよな(がーん)連載第3
弾、おたのしみぬぃー









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