敵将、討ち取ったり!!

故郷で天下の趨勢をじっと見つめていた曹操はついに動きます。
倒幕の密勅、じゃなく、董卓打倒の偽勅を飛ばし、袁紹を盟主とする反董卓連合軍(関東軍)
を組織することに成功します。そして関東軍はついに水関で董卓軍と激突。袁紹は孫堅を先
鋒とします。迎え撃つは五万の兵を随えた猛将・華雄。鮑忠が斬られ、孫堅軍の先鋒も敗走。
援軍も退却を余儀なくされます。あわてふためく本陣。そこで名乗りを挙げた屈強そうな男こそ
劉備が義弟、関雲長でした。袁紹が身分を問うと、「兄劉備の元で馬弓手をしております」とい
う。「おのれなめとんのか!!」(←彼は名門なのでこんなに汚い言い方しません^^;)
袁術も思い切り馬鹿にしますが、曹操は、「見れば立派な身なり。華雄もまさか馬弓手とは思う
まい。死んだらそれまでのこと。」と言いました。袁紹も渋々納得。そして、曹操は熱燗を酌み、
関羽を激励します。しかし関羽はすぐに戻るからと言って馬に飛び乗って華雄めがけて突進。
やがて太鼓が鳴り、鬨の声が上がりました。諸将が何事だろうと訝しがっていると、なんと関羽
が本陣の帳の中に入ってきて、華雄の首を地面に放り投げました。
なんと、そのとき酒はまだ温かかったのです。

以上が有名な「酒の温かいうちに華雄を斬る」です。これは最近ちょくちょく言われているので
ご存知の方もいらっしゃると思うのですが、華雄を斬ったのは関羽ではありません。

本題の前に関東軍について補足説明。実はこの関東軍、ろくに機能もしなかったのです。それ
ばかりかこの水関の戦い及び、「三兄弟大いに呂布と戦う」の虎牢関の戦いは正史に記述
がないのです。関東軍はいわば急造の寄せ集めチーム。しかもそれぞれが自分のことばかり
考えて兵を出さず、毎日宴会ばかり。そんな状態にしびれを切らした曹操が単独で突出し、徐
栄にこてんぱんにやられたこともありました。そして、結局大きな戦闘もないまま董卓暗殺で目
標を失い、解散となるわけです。しかしその中にあって曹操以外で積極的に動いた男といえ
ば、誰あろう江南の雄・孫堅(字は文台)でした。

本題。では華雄はどこで誰に討たれたのでしょうか。もうお分かりですね?
それは、我らが武烈皇帝・孫文台です!
あるとき連合に参加するため北上を続けていた孫堅は、梁というところで董卓の大軍に奇襲を
うけ、数十騎とほとほとの体で脱出します。ちなみにこのときいつもかぶっていた赤い頭巾を側
近の祖茂にかぶらせ、その間に見事間道を抜けることが出来ました(ちなみに祖茂は追い詰
められましたが機転をきかせて無事でした。ヨカッタ〜)。その後、再び兵をまとめ陽人の地で
董卓軍を大きく破り、董卓軍都尉の華雄らの首を斬ったのでした。もちろん関羽は孫堅軍所属
ではないので、この決戦にかかわっていた可能性はゼロに近いと言っていいでしょう。

したがって、華雄は孫堅が斬ったとは言わないまでも、孫堅の配下が討ち取ったことは間違い
ありません。








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