詩経概要

一 成立
 詩経は中国史上ではもちろん、世界的にも最古の部類の詩歌集である。収録された詩の制
作年代としては、西周初期(紀元前十一世紀)から春秋時代中期(紀元前六世紀)頃までの、
およそ五、六百年の間とされる。
 その編纂過程としては、周代には「太師」(音楽を司る役人)と「行人」(民のことばを集める下
級役人)が民間歌謡の採集に従事し、為政者に奉り、功を讃え、徳を讃え、時にこれを諌めた
という。これは、古代社会に於いて、いわゆる「言霊」という言の魔力が信じられていたことに由
来するだろう。
一方為政者の側では詩を聞くことによって民意を聞き、また自己に於いても先祖を崇め奉ると
いう古代国家に於ける最重要項目に詩を用いていた。だが時代が下るごとにそのような呪術
的側面は次第に薄れていき、芸術的な遊興としても重要視されるようになっていった。またそ
の過程で民の詩も宮廷社会に取り上げられていくようになる。
 春秋時代中期になると、史官等がこれらの楽曲を整理し、その結果詩(いわゆる歌詞の部
分)は残されたものの、曲は失われてしまった。
     
二 位置 
 本来詩経は単に『詩』と呼ばれた。では『経』とはなんだろうか。
前漢の武帝の頃、董仲舒の献策により五経博士が設置され、儒教の官学化が行われた。五
経とは、儒教の重要な経典のことで、先秦代に存在した六経のうち亡失した『楽』以外の『易』
(占い)『書』(歴史)『禮』(儀礼)『春秋』(魯の歴史、左伝)、そして『詩』(詩歌、毛詩)の総称で
ある。この過程で詩には「孔子が編纂した」という付与がなされた。このことは現代でも通説的
に通じるものである。

      三 編成
 詩経に収録されている三百五編の詩歌は、大きく三つの様式(風・雅・頌)に分けることが出
来る。 
      (一)風 
 各国の民間歌謡で、周南十一篇、召南十四篇の「二南」をはじめ、ハイ十九篇、ヨウ十篇、
衛十篇、王十篇、鄭二十一篇、斉十一篇、魏七篇、唐十二篇、秦十篇、陳十篇、檜(かい)四
篇、曹四篇、ヒン七篇の十五国風、百六十篇である。そのほとんどが春秋期(紀元前七七〇
〜紀元前四八一)前半の作と思われる。また〔秦風・黄鳥〕は、秦の九世で春秋の五覇の一
人・穆公が没した際(紀元前六二一)に子車氏の三子が殉教したことを哀しむ歌で、製作時期
が知れる最も新しいものである。
     (二)雅
 雅は宮廷に於いて歌われたもので、かねてより「正」の位置づけをなされていたものである。
さらに大・小に分けられる。この区分は用いられる音楽の違い、歌われる場所の違いなど諸説
あるが、未だ確定をみせていない。大雅三十一篇、小雅七十四篇を収録。但し小雅には、南
ガイ、白華、華黍、由庚、含崇丘、由儀という題のみで中身がない詩が六篇存在する。その理
由としては、一)もとから詩のない琴曲である、二)秦始皇帝の焚書坑儒の際に喪失した、三)
後世に歌詞が亡失した、などの説がある。
     (三)頌
 頌について朱熹は「宗廟の楽歌なり」と言った。「宗廟の楽歌」すなわち天子諸侯が祖先を祭
り、上帝を饗宴し、祈念拝神するのに専ら使われた楽曲である。朝代によって三つに分けられ
る。四十篇。
      T 周頌
 周は、殷の西伯公・姫昌(文王)の子、姫発(武王)が殷の紂王を打倒して建国した国であ
る。最初鎬京に都したが、十二代幽王の代に至り犬戎に追われ一旦滅亡。十三代平王は東
遷し、翌年即位。都を成周に移した。東遷以降を西周、それ以後を東周と呼ぶ(春秋戦国時代
に当たる)三十七代で滅亡。
周頌は、東遷後まもなく書かれたものと思われ、三つのうち最古のものである。特徴としてすべ
てが一章によって構成され、非常に素朴な味わいをもつ。
      U 魯頌
 魯は、姫発の弟の姫旦(周公旦)の長子・姫伯禽が封じられた周の列国の長たる国である。
後に分家の三桓氏が実権を握り、三十四代頃公の時に楚に滅ぼされた。孔子の生国でもあ
る。
魯頌はその全てが時の君主である僖公(在位紀元前六五九―紀元前六二六)を讃える詩で、
制作年代が非常に限られる。周頌に於いては天の神を祈り祭ることに視点が置かれていた
が、魯頌に至っては、公を讃え国の威光を示すことに詩の意義が移っている。
      V 商頌
 商は殷の別名で、『史記』の殷本紀によれば、紀元前十六世紀に湯王が夏の傑王を滅ぼし
て創始し、三十代紂王(辛王。子受)に至り周の武王に滅ぼされた。その後、滅亡した商の祭
祀のため、紂王の庶兄・子啓(微子啓)が宋に封じられ、商丘に都した。三十二世で斉・魏・楚
三国により滅ぼされた。また流浪した商の民が危険な流通業に従事したことから、商人という
語が生まれた。
商頌は宋の朝廷で商の高宗を祭った楽歌である。商の奇跡の始祖・契(せつ)から最盛期の偉
大な王・武丁をうたう〔玄鳥〕など、かつての宗主国たる意地が感じられる。こちらも魯と同様に
襄公の頃(紀元前六五〇―紀元前六三七)に制作年代が限られる。 

     四 表現
 詩経の表現方法には賦・比・興がある。また、先の三つの区分(風・雅・頌)と合わせて、詩経
の「六義」と言う。魯迅は『漢文学史網要』に於いて、「賦は真にその情を述べ、比は物を借りて
志を言い、興は物に託して辞を興す」という。 
     T 比    
 比、とはつまり比喩のことである。一例として〔魏風・碩鼠〕に於いて、搾取者たちを、食糧を
盗み食いする大鼠になぞらえていることなどが挙げられる。その効果として、比喩によって詩
の主題を更に鮮明に浮かび挙げるものがある。
     U 興
興は詩経独特の表現法で、一つ一つの事物、一つの時、一つの景を歌いはじめ、主題を呼び
起こすものである。一例として〔周南・関?〕では、鳴き交わすみさご(みさごではないとする説も
ある)から、水辺にあさぎを摘む乙女への傾慕を呼び起こすものがある。
また、しばしば興と比は併用される。
     V 賦
賦は、事柄をそのまま述べる直叙法であり、雅や頌の叙事詩的詩編に多く見られる。「
    
     五 終わりに
中国の古代詩歌は、今日の中国文学や中国人の価値観の基底となっていることはもちろん、
日本人の意識の根底においてもなんらかの影響をおよぼしているものである。この中国の古
代詩歌を振り返ることの重要性を説明するには、「温故知新」という孔子の言葉を借りるまでも
ないであろう。


                                       
(参考文献)
『中国の古代文学』(一)  白川 静  中公文庫  一九八〇年九月
『詩経国風』    白川 静  平凡社・東洋文庫  一九九〇年五月
『詩経雅頌』1・2 白川 静  平凡社・東洋文庫  一九九八年六・七月
『詩経入門』  趙浩如著・増田栄次訳  日中出版  一九八八年五月

  






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