人はなぜ、詩を詠うのだろう。なぜ、物に感じ、心に浮かんだ想いを、口にせずにはいられない
のだろう。
詩経以来三千年を越える悠久の歴史を誇る中国古典詩(漢詩)は、人々の喜びや悲しみ、そ
の他の様々な想いを包み込み、数多くの名作を生み出してきた。遙かなる時を越え、我々に
今尚情趣を感じさせる漢詩に現れる情感と、その変わらぬ魅力を考えてみたい。

漢詩的なテーマの代表的なものの一つに「懐古」がある。古今東西、人は過ぎ去った過去を間
接体験することにより、深い情を覚えるものである。懐古詩の真髄は、人為的に一瞬起こる繁
栄と、その後に必ず訪れる荒廃との対比から生まれる、主として過去への詠嘆である。ある時
期における繁栄が大きければ大きいほど、それが滅び去り、朽ち果てたときの空しさや儚さを
より多く感じるものである。
それについては、悠久の中国史各王朝の興隆と崩壊は、この懐古詩により多くの、そして絶好
の舞台を提供してきたと言えるであろう。
 それではその懐古詩の代表例として、北宋の大詩人・蘇軾(号・東坡)の、「念奴橋 赤壁懐
古」を紹介する。

「念奴橋 赤壁懐古」
大江東去            大江東に去り
浪淘尽 千古風流人物      浪は淘尽す 千古風流の人物を 
孤塁西辺            孤塁の西辺
人道是 三国周郎赤壁      人は道う 是三国の周郎の赤壁なりと
乱石崩雲            乱石は雲を崩し
驚濤裂岸            驚濤は岸を裂き
捲起千堆雪           捲き起こす千堆の雪
江山如画            江山画けるが如し
一時多少豪傑          一時多少の豪傑ぞ
遙想公瑾当年          遙かに思う公瑾の当年
小喬初嫁了           小喬初めて嫁し了わり
雄姿英発            雄姿英発なりしを
羽扇綸巾            羽扇綸巾
談笑間 強虜灰飛煙滅      談笑の間に 強虜は灰と飛び煙と滅す
故国神遊            故国に神は遊ぶ  
多情応笑我           多情応に我を笑うべし
早生華髪            早に華髪を生ぜしを 
人間如夢            人間は夢の如し
一尊還?江月          一尊還た江月に?がん

語注

念奴橋・詩牌の名。
赤壁・西暦208年(建安十三年)、孫権と劉備の連合軍(実際には劉備軍は後方にありほとん
ど戦闘に参加していない)が、中原を手におさめ、中国統一を目指して南下してきた曹操軍を
破った戦い。また、その合戦場。この詩の舞台で、黄州にあり、風光明媚で数多くの詩に詠ま
れてきた通称「文の赤壁」と、現・赤壁市の実際の古戦場、通称「周郎(武)の赤壁」が有名。

三国周郎・三国時代は中国史上では、後漢最後の皇帝・献帝(劉協。孝愍帝とも)が同220年
(後漢 献帝 延康元年・魏 文帝 黄初元年)に、当時魏王だった曹丕(字・子桓。曹操の子。
後の文帝)に禅譲してから、呉の烏程公・孫皓(字・元宗。一名を彭祖。字・皓宗)が魏を簒奪
し、同264年に蜀を併呑した司馬氏の晋(東晋。265年〜316年)に降伏した同280年(晋 
炎帝 太康元年・呉 天紀四年)までを言う。
周郎(周氏の若君というほどの意味)こと周瑜(字・公瑾)は呉の偏将軍。ただし彼は同210年
(建安十五年)没(184年〜)のため、厳密には後漢時代の人間である。東坡の当時、三国時
代の歴史物語(のちに「三国演義」に発展するものの原型)が民間で行われていたため、作者
はこれを踏まえて「あの三国の物語でおなじみの英雄・周瑜」のつもりで書いたのであろう。

小喬初嫁了・これも史実にあわない。小喬が周瑜に嫁したのは少なくとも孫策が不慮の死を遂
げる西暦200年以前のことである。これは、孫策(孫権の兄)と周瑜が同時期に喬氏の姉妹を
迎えたとの〔三国志・周瑜伝〕による。 

羽扇綸巾・後漢から晋、六朝にかけての流行した服装。これを諸葛亮のことととり「諸葛亮との
談笑の間に」と次以降に続ける訳文も存在するが、あまりにも突発にすぎると思われ、ここで
はとらない。

解釈
 大江の水は東へ東へと流れてゆき、波は千年の古人――自由不羈の人々――におもかげ
を洗いつくした。あの石垣の西の方、そこが三国のころの周瑜の古戦場、赤壁だと、ひとはい
う。岩石は雲の峰のくずれたにもまがい、おどろおどろしく、さかまく波がしらは岸をつんざき、
雪の上にも似たしぶきを飛ばす。画をみるような山と川、あのひととき、ここに出あった英傑の
数はいかばかりであったか。想いやれば、周瑜はそのとし、美しい小喬を迎えたばかりで、英
雄のすがたいさましく、羽うちわと綸子の頭巾をつけ、談笑のしばしのまに、強敵は灰けむりと
なって、ついえ去った。
 ああ、ふるさとへ魂をはせる。心ある人は、私がはやくも白髪頭になったと笑うでもあろう。だ
が、人の世はまことに夢。まずはこの一本の酒を大江の月にささげるとしよう。

その「懐古」とやや似た漢詩的なテーマに、「詠史」がある。あくまで同じ歴史上の事柄を詠いな
がら、「詠史」が「懐古」と異なる点は、「詠史」がその評価や褒貶に焦点を当てたものであるの
に対し、「懐古」の特色は、先程も述べたとおり、人為の儚さへの詠嘆が主題としておかれてい
るところにあり、その点で「詠史」とはやや性格を異にする。
 次に、晩唐の杜牧の「赤壁」を紹介する。前出の「念奴橋」と同じテーマであり、懐古詩と詠史
詩との微妙な差異をより深く感じとってもらえるであろう。

「赤壁」
折戟沈沙鉄未錆     折戟沙に沈んで鉄未だ錆ぜず
自将磨洗認前朝     自ずから磨洗をもって前朝を認む
東風不與周郎便     東風周郎のために便ぜずんば
銅雀春深鎖二喬     銅雀春深うして二喬を鎖さん

語注

 前朝・赤壁の戦いのあった時代。実際には後漢時代であるが、ここは広く三国時代ととっても
よいであろう。

 東風・風上を魏軍に奪われた格好となり、兵力から見ても圧倒的に劣勢だった呉軍が魏軍
の大船団に焼き討ちをかけた際、折りしも吹いた東南からの強風に煽られて火が燃え広が
り、それによって魏軍が後退した故事による。

 銅雀・魏の都・ギョウのショウ水のほとりにあった銅雀台のこと。曹操が築き、多くの美女をお
いた。曹操は統一への野望とともに、またここに二喬を囲いたいと願い、南征を起こしたという
三国演義にも挿入される話がある。しかし銅雀台の完成は建安十五年(西暦210年)冬と〔三
国志・曹操伝〕にあり、建安十三年の赤壁の戦いとは史実に合わない。しかしこのような物語
が作者・杜牧の生きた晩唐にすでに存在していたことが知られ、貴重である。これも詠史詩な
らではであろう。
 
二喬・呉の喬氏(橋氏とも)の二人の姉妹。美貌にして賢女として有名。姉の大喬は孫策の
妻、妹の小喬は周瑜の妻となる。二人とも若くして夫に先立たれた(孫策は献帝を迎えるため
北上の途中、26歳で刺客に襲われて、周瑜は赤壁後の荊州城攻略戦の矢傷がもとで36歳
で死亡)悲運の姉妹でもある。
 
次に、同じく杜牧の「泊秦淮」を紹介する。六朝の栄華とその荒廃は、懐古詩や詠史詩の格好
の材料であり、様々な詩が詠まれているが、なかでもこの詩は艶情溢れる美しい表現の中に
悲痛幽遠の思いがこめられていて、秀抜である。

「泊秦淮」        「秦淮に泊す」
煙籠寒水月籠沙     煙は寒水を籠め 月は沙を籠む     
 夜泊秦淮近酒家     夜秦淮に泊して 酒家に近し
 商女不知亡国恨     商女は知らず 亡国の恨み
隔江猶唱後庭歌     江を隔てて猶お唱う 後庭歌

語注

 秦淮・南京城南を流れる河の名。秦の始皇帝の時、金陵(南京の古名)に天子の気ありと奏
するものがいて、鐘山をうがち淮水を通したもので、このため秦淮と呼ぶ。

 亡国恨、後庭歌・六朝時代建康(南京)に都した陳が、後主陳叔宝のときに隋に滅ぼされ
た。そのサロンで好んで歌われた陳叔宝作の「玉樹後庭歌」は亡国の歌とされる。

解説
 夕もやは寒々とした淮河の水面にたちこめ、月の光はおぼろにかすんで岸辺の砂州を照ら
している。今宵、この秦淮河に舟をもやうと、近くには酒楼が多く、艶かしい弦歌の声が聞こえ
てくる。妓女たちは、この歌にまつわる亡国の悲しみも知らないようで、川を隔てて今しも唱っ
ているのはあの「玉樹後庭歌」であった。
   
 陳の滅亡後、陳叔宝は隋の客分のような立場で生きた。最後に、その陳叔宝が隋に入った
後の詩を紹介する。

「入隋侍宴応詔」     「隋に入り宴に侍り詔に応ず」
 日月光天徳       日月は天徳に光らせ
 山川壮帝居       山川は帝居を壮とす
 太平無以報       太平 以って報ゆる無く
 願上東封書       願わくは東封の書を上さん

世は移ろいやすく、また儚い。だからこそ永遠に残る文を残そうと、詩人達は一字一句に心血
を注ぐ。その一字一句に宿る詩人の魂を、我々は「情感」として感じるのではないだろうか。

3353字                                              

 
参考文献

『漢詩 ―美の在りか―』   松浦友久著   岩波文庫  2002年1月初版

『中国名詩選』   松枝茂夫  岩波文庫   1997年2月              

『蘇軾』(新集中国詩人選集6)  小川環樹  岩波文庫  1983年12月

『三国志』T・V(世界古典文学全集)  T 今鷹真・井波律子訳 V 小南一郎訳  筑摩書
房 1977年7月 




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